自分の責任

私は かつて 遠い日に 愛おしい子を 自分の手で 命を絶ちました。

どうしようもなく、考えに考えた挙句の選択でしたが、今思えば、もっとほかの選択肢があったのではないかと

いや、本当に、これしか道はなかったのだという自己弁護と

こんなふうにしなければならない状態で この子を捨てた人が悪いのだと


あるいは・・・


もっと、心強く持っていれば、そんなことをする必要はなかったのではないかと さいなまれ 一度たりともその子のことを忘れたことはありません

誰の手も借りず、獣医の手も借りず、自分の手でやりました


私のことを、こよなく愛していたその子は、最後の最後まで、私を静かに見つめて、やさしくやさしく息を引き取っていきました

しずかに横たわったその屍を、抱きしめた時

殺めてしまった、罪の大きさと もう一度目を開けてくれないかなという思いと

これでやっとこの子は楽になれたのだという言い訳と

これを一生背負っていかねばならない十字架の重さと

二度とこんなことはしてはならないという思いで そのまま土に埋めました

火葬場に持っていくなどということはできなかったのです。


しずかに私の後をついてきていた、あのとき、あのままに

今もそばにいてくれる・・・


この子の命を助けるために、この子を引き取ったのではないのか?

なんのために 処分場から救い出したのだ

私と過ごした数年はこの子にとってどんな日々だったろうか・・・


ごめんね ごめんね 

でも 何も応えてくれません 静かに見つめて いるだけです



こんな私にとって、世の中に、こんなにも人を怖がる犬がいるのだろうかというほど ものすごかったビリーも

私にとっては、何のまよいもためらいもなく 預かりに手をあげることができたし


こんなすごい数の腫瘍が と思われるディルちゃんの預かりも、その後の昼夜をいとわない看病も 全く苦にならなかった

そんなこんなで どんな子であっても

私にとっては なにも 考えることはない


勇気があるわけでもなく 余裕があるわけでもなく

ただただ背中を押されるようにして


「誰もいなければ、私が・・・」そんなふうにして 


私は、いま、こうしているのです。



そして、たとえ 百頭の子の命をつなぐお手伝いをしたとしても


私は ずっとこのまま あの子の命の重さに 変えられるものはないと・・・

おもうのです


犬を家に迎えた日から その子の命の責任は自分にあると 自覚を持っている人は どれだけいるのだろうか





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Commented by なつ at 2015-12-17 00:16 x
隊長様

お辛い経験をされたのですね…。

どんなに手を尽くしても痛みも苦しみも取り除いて
あげられなければ私も同じことをすると思います。
死ぬより辛いことってありますから。

十字架を背負うということは罪の意識に苛まれるという
事ではなく、お空に発った仔の残りの犬生を背負い
体の一部としながら様々な経験を積むということだと
思います。
笑顔になることも涙することも全て…。

その仔の犬生は隊長さんの人生と共にあり
そして生き続けるのではないでしょうか。








Commented by kaychann1960 at 2015-12-18 15:18
> なつさま
そのように言っていただけるとたいへんうれしいです。

by kaychann1960 | 2015-12-16 00:14 | Trackback | Comments(2)