眼が見えないということ

シモンは、眼が見えているのかいないのか良く分かりません

頭や顔をぶつけて歩きます。

自分が覚えた場所では、ぶつけません。

障害物がない畑の道や広いところではぶつけません

遠くのほうをみているときもあり、両眼の視力のバランスが悪くて近くのものが距離感がわからないのか

わかりません・・・

それでも、毎日元気に過ごしています。

呼べばちぎれんばかりに尾を振って側に来ます

人に捨てられたのに、人をまだ愛せるなんて・・・

みなさんは、今シモンのように眼が見えず、山の中かどこかに置き去りにされたとしたらどうしますか?

とはいっても、私のブログを見てくださっている皆さんに問いかけても仕方がないかもしれません


なぜなら、そういうことを平気でやる人が、私のブログを見ているとは思えないからです


私は、今、齢のせいか、明日への不安の気持ちが襲って生きているのが悲しくなることがあります

それに加えて、10月から始めたパートの職場がえらくひどいところで、明日にでもやめたいところをぐっとこらえて3月までの契約を全うすべく、がんばっているのですが家に帰ってわんこたちがぎゃんぎゃん迎えてくれなければ、心はおれてしまったかもしれません。

アホみたいに、13匹もいるわんこたちに心癒されているのです。

こんないじめも人生の修行、まだまだ、勉強せい!という神様からのメッセージかとも思っているのですがいい歳しても、職場の雰囲気が悪いというのは辛いものですね

けれども、眼が見えないシモンや、年老いてよたついてもなおがんばっているドンじいさんや、そして、助けたくても助けられない多くの命を思うと

こんな悔しさはなんと小さなことかと思い直すのです

けれども、こんなふうに慣れないパートのおばちゃんをねちねちいじめるベテランおばちゃんの気持ちも、平気でわんこを捨てる人たちの気持ちも

根本は同じではないかと思うのです

相手の辛さを推し量ることができない、自分が良ければそれでいいのだという気持ちです

そしてこういう人たちは人に言われて気持ちを変えることもないのです


戦後豊かな時代に育った人たちは、物があふれかえりなんでもお金を出せば買えると思っています

そして、ゲームで「死んだ死んだ」と言って喜んでいる子供たちは、本を読むという習慣もなくなり かわいそうな物語を読んで、胸が詰まるという感情もないのです

今の子供たちは、新見南吉の「ごんぎつね」を読んでも、淡々としています


かつて上の娘がいじめられていた中学の先生は、娘が、「死ね」といわれることが嫌だと訴えても

「単なる挨拶の言葉だ。そんなことをいちいち気にして神経質だ。もっとお友達と仲よくできるよう自分から努力しなさい。」といわれたそうです。

教育現場で「死ね。」は、挨拶言葉だそうです

ですから、犬を処分するぐらい平気な人がいても当然なのです

しかも、自分の手は汚さずに、ひとにやらせる・・・

人間ほど恐ろしい動物はいません

心が見えない・・・それは、眼が見えないよりも もっともっと、悲しいことですよね




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Commented by ロビン フルート ハート ナナの母 at 2016-12-20 14:48 x
いつも拝見しています。涙が出ました。この人と語り合いたい!!と思いました。うちの子達も保護犬です。世の中で一番狂暴で恐ろしい生き物は人間だと思います。私もわんこ達がいてくれるから幸せです。毎日感謝です。
シモン君隊長さんちに来れてよかったね♪
Commented by kaychann1960 at 2016-12-29 21:37
ロビン、フルート、ハート、ナナの母さま

こんにちは~
いつも、ブログを読んでくださってありがとうございます
今年ももう終わろうとしています。
寒い、センターで震えながら暮らしている子たちへ、希望の光が見えますように。
by kaychann1960 | 2016-12-19 21:40 | Trackback | Comments(2)

わんこ隊長ののんびりすぎ~なブログ


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